物事の「仕組み」や「本質」を知りたい欲求は抑えられません。
それらは、効率や利益を生み出してくれるからです。
因果律に則って書かれているので読みやすくて分かりやすいです。
父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。
「なぜ、世界には貧富の格差があるのか」
「なぜ、人類は地球を破壊してしまうのか」
全ての原因は、経済と市場(交換の場)にある。
「言語」と「余剰」経済の誕生
8.2万年前に人類は言葉を使い始め、1.2万年前に土地を耕し始めた。
農業革命によって、自然の恵みだけに頼らず生きられるようになった。
「余剰」が生まれたことで、文字・債務・通貨・国家・官僚制・軍隊・宗教が生まれた。
文字
農民が共有倉庫に預けた穀物の量を記録するために生まれた。
債務、通貨、国家
預けた穀物を記録するようになったことが債務(借金)と通貨の始まり。
労働者への支払いに貝殻が使われた。
それは主人が労働者に返すべき借金のようなものだった。
また、貝殻は通貨としても使えた。
金属硬貨は重いため、持ち歩くのは借用書(紙)。
借用書と通貨に共通するのは信用であり、神託を受けた支配者や高貴な血筋の王様や、国家や政府の保証が必要だった。
官僚、軍隊、宗教
国家には、運営を支える官僚や支配者を守る警官が必要。
支配者は大量の余剰がなければ官僚や警官を養えず、軍隊の維持も不可能。ならば、
「支配者だけが国を支配する権利を持っている」と庶民に固く信じさせればいい。
「全てが運命によって決まっている」と思わせればいい。
「庶民の暮らしは、天からの授かりもの」と信じさせればいい。
「異を唱えたら、この世がとんでもない混乱に陥ってしまう」と思わせればいい。
そして制度化された思想(宗教)が生まれ、儀式を執り行う聖職者が必要となった。
大量の余剰がなければ、複雑な階層からなる宗教組織は生まれなかった。
というのも「神様に仕える」人たちは何も生み出さないからだ。
だから、何千年にもわたって国家と宗教は一体となってきた。
テクノロジーと生物兵器
新しいテクノロジーが発明されるようになったのは農耕がキッカケ。
畑を耕す道具や灌漑設備が必要になったからだ。
そのテクノロジーが建設に使われるようになり、ピラミッドや神殿や寺院が造られた。
もちろん、建築を支えたのは奴隷。
余剰(貯蔵)のせいで細菌やウイルスも生まれた。
共有倉庫から人や動物を通して感染した。
人間に免疫が無い時代は、多くの人が亡くなった。
先住民は侵略者から殺されるよりもウイルスに感染して死ぬ方が多かった。
侵略者がわざとウイルスを武器代わりに使うケースさえあった。
毛布に天然痘のウイルスを刷り込んでアメリカ先住民にプレゼントし、その地域を根絶やしにしたこともあった。
地域内格差
富が支配者に偏っていったのが「寡頭制」。
蓄積した余剰を独占できる支配階級が、更に経済や政治の権力を持ち、文化的にも力を持つようになる。
その力を使って更に大きな余剰を独り占めするようになる。
数百万ドルが手元にあれば、更に100万ドルを稼ぐのは比較的簡単だ。
しかし何も持たない人にとって、100万ドルなんて手の届かない夢だろう。
そんな訳で、グローバル格差と社会的格差は広がった。
「当たり前」に疑問を持ち続ける
お腹を空かせて泣いている子供たちがいることに君は怒るだろう。
しかし、君自身はおもちゃや洋服やお家を持っているのを当たり前だと思っている。
自分たちの豊かさが何かを奪った結果かもしれないとは思わない。
人は誰でも自分に都合の良いことを当たり前で正しいと思ってしまうものだ。
「市場社会」の誕生
全てが「売り物」になる
この2~300年の間に、人類の歴史は異なるフェーズに入った。
多くのものが商品になり、自分が使うものを自分で作ることは稀になった。
子宮さえ交換価値がある。
自分のことすら「市場価値」で測ってしまう
市場社会における人生は、経済的な物差しでしか理解できない。
もちろん、文化と習慣と信仰は今も大切だが、現代では市場が小さく未だに経験価値が支配的な地域でも、人は自分が市場に与える影響を通して自分の価値を測ってしまう。
市場社会のはじまり
何かを生産するのに必要な要素は次の三つ。
❶「資本財」。自然から採取する原材料、加工する道具や機械、全てを置く建物やインフラ一式。
➋「土地・空間」。例えば、農場・鉱山・工場・作業場・事務所。
❸製品に命を吹き込む「労働者」
市場社会は、生産活動のほとんどが市場を通して行われるようになった時に始まった。
その時、生産の三要素は商品となり、交換価値を持つようになった。
「労働者」は自由の身となり、新しい労働市場でお金と引き換えに労働力を提供するようになった。
「生産手段」や「土地」も売買されたり、賃貸されるようになった。
グローバル貿易
ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリスの商人はイングランドやスコットランドで羊毛を船積みし、それを中国で絹と交換し、絹を日本で刀と交換し、インドで刀を香辛料に換えてイギリスに戻る。
すると香辛料で最初の羊毛の何倍もの羊毛が手に入る。
これを繰り返し、大金持ちになった。
イングランドやスコットランドの領主たちは、社会階層の低い商人や船乗りが莫大な富を手に入れていることに憤慨した。
そこで、ビーツや玉ネギ作りを止めて土地を柵で囲って羊を飼った。「囲い込み」だ。
囲い込み
農奴を締め出すことで労働力と土地を商品にした。
これが労働市場の始まり。
数十年後に最初の工場が出来て、やっと労働力への需要が高まった。
領主は土地を貸し出し、その土地で出来る羊毛の価値によって賃料を決めればいいことに気付いた。
要するに、羊毛が国際的な価値を持ったことで、イギリスの田園も国際的な価値を持つようになった。
農奴は領主と賃貸契約を交わした。
工場
スコットランド人発明家ジェームズ・ワットの発明した蒸気機関によって産業革命が到来した。
世界はカネで回っている?
「市場のある社会」が「市場社会」に変わったことで、お金が手段から目的になった。
人間が利益を追求するようになったからだ。
「利益」と「借金」の結婚
人助けの場合は正しいことをしたという満足感が経験価値になる。
心が温かくなる。
しかし、ローン契約の場合、見返りに何か交換価値のあるものを余分に受け取れることが貸し手の行動の動機になる。
それが利子の受け取りだ。
金持ちが更に金持ちになる一方、多くの起業家は倒産の危機にさらされ、膨大な数の労働者が過酷な条件で働かされた。
産業革命の原動力は石炭でなく、借金だった。
借金は宗教的な問題だった
利子を含めた借金の返済は「償還(リデンプション)」といい、「贖罪」と同じ言葉。
借金というのは大昔から宗教的な問題だった。
イスラム教は今でも利子の徴収を表向きでは禁じている。
キリスト教も「市場社会」になる前はそうだった。
信仰や教義を脇に置き、借金に利子を課すことを法的に禁止しなくなって産業革命は開花した。
この転換には16世紀にカトリック教会から分離したプロテスタントが果たした役割が大きい。
プロテスタントは、ローマ教皇と枢機卿たちへの反対から生まれた(カトリック教会では、教皇と枢機卿だけが神と対話できるとされていた)。
一方、教会の権威者を通さなくても、誰もが自由に神と話せるとしたのがプロテスタントだ。
プロテスタント教会では、自立した普通の人が中心的な役割を果たした。
プロテスタントを牽引したのは商人であり、起業家だった。
恐るべき「機械」の呪い
利益を生み出すには、他の起業家と競争して顧客を獲得しなければならない。
顧客を獲得するには製品の値段を下げなければならない。
値段を下げるには同じ賃金でより多くの製品を生産し続けなければならない。
機械工学やテクノロジーの発明が生存競争に役立つと分かるとすぐに、テクノロジーは生産に利用されるようになった。
フランケンシュタイン症候群
市場社会への警告を描いた作品として『マトリックス』がある。
テクノロジーが人間を奴隷にしてしまう。
人間が代謝によって発するエネルギーが機械の動力源となる。
『ターミネーター』では機械が地球を支配するため人類を根絶やしにしようとする。
イカロス症候群
人間がテクノロジーに置き換えられるたびに製造コストが少しずつ下がり、繊維業界や自動車業界の競争が激しくなり、価格も下がっていく。
その内ある時点でテクノロジーが本格的に飛躍し、劇的な変革が起きる。
するとマイクロチップやiPhoneの製造コストがガクンと下がる。
今が既にその段階だ。
先端自動車工場、スマホ工場では、大量のロボットがほとんどの仕事をし、人間の入る余地はほとんどない。
しかし、自動化を支えるのは利益であり、価格がコストを上回らなければ利益は蓄積されない。
問題は、三つの力が価格をコスト以下に押し下げてしまうことだ。
まず「自動化」でコストが下がる。
次に企業同士の「競争」によって価格はコストをそれほど上回らなくなる。
すると利益は最低限に留まる。
最後に工場で働くロボットは製造には役立っても製品を買ってくれない。
すると「需要」が下がる。
マルクスによると、これら三つの力によって価格はやがて製造コストや全ての費用を賄えない水準まで押し下げられる。
すると市場社会の翼も溶け始める。
他の商品に無いブランド力(高品質・高性能)があれば、価格競争から逃れられる。
ミダス王の欲望とその副作用
現実には、次のような展開になる。
借金で最新の機械に投資していた起業家は、当てにしていた利益が実現できないことに気付く。
多くの製品価格が一斉にコストを下回ると競争力が無く効率の悪い企業は大きな損失を出して倒産する。
つまり、経済の循環が止まり、経済危機が起きる。経済危機が起きると人も機械も余るようになる。
不要になるのだ。
この時点で生き残っている起業家は二つのことに気付く。
一つは、多くのライバル企業が倒産して、競争が減る。
生き残った企業は少し価格を上げることが出来、事業が少し上向きになる。
もう一つは、機械を買うより人間を雇う方が安上がりになること。
人間は食べていかなければならないので、どんな賃金でも仕事に就こうとする。
実際にリーマンショック後、人間の労働力は国際市場において大々的に復活した。
巨大企業にとっての「素晴らしい新世界」
経営者たちの究極の目標は、どの企業よりも先に労働者を完全にロボットに置き換えて利益と力を独占し、ライバル企業の労働者に自社製品を売りつけることだ。
誰にも管理されない「新しいお金」
「信頼」が通貨をたらしめる
ビットコインの総量はアルゴリズムによって決まっている。
だが、これには大きな問題がある。
理由は二つ。
まず総量が決まっていることで危機が起きやすくなる。
次に危機が起きたらそれを和らげるのが難しくなる。
父が教えてくれたこと
マネーサプライを調整することで、バブルと債務と経済成長の行き過ぎを防ぎ、同時にデフレと景気後退を退治できる。
マネーサプライへの介入は、あらゆる層の人々に影響する。
金持ちや権力者も貧しく弱い人たちも異なる形で影響を受けるが、その影響が公平になることは決してない。
人は地球の「ウイルス」か?
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という一神教を見たところ、我々人間は自分たちを賢いと思っているようだ。
人間は自分を完璧で唯一の存在である神と似た姿を与えられたと思いたがる。
人間は言語と理性を持つ唯一の哺乳類で、半神であり、地上の主であり、自分たちが環境に適応するのではなく環境を自分たちの望み通りに変えられる存在だと考えている。
だから、人間が作り出した機械が自分たちに背き、エージェント・スミスのように刃向かってくるかもしれないと思うと苛立つ。
何よりも我々は心の奥底でスミスが正しいかもと恐れている。
宿主を全力で破壊するウイルス
我々人間は地球を全力で破壊している。
多くの植物と動物を絶滅に導き、地球の森林の三分の二を破壊し、酸性雨を降らせて湖を汚染し、土壌を腐らせ、河川を干上がらせ、大気に二酸化炭素を充満させ、海を酸性化して珊瑚を殺し、氷河を溶かし、海面を上昇させ、環境を不安定にし、人類全体を危険に晒している。
我々人間が地球を脅かす単なるガンやウイルスではなく、良心を持ち、自己批判と内省ができる存在かもしれない。
ただし、問題は良心や自己批判といった美徳を我々人間が十分に生かせるかということだ。
排出権取引とその矛盾
自然の商品化は理論上の話ではない。
政府や企業に支持され、既に実践されている。
大気汚染への対策として政府は次のような策を実施している。
企業に炭素の排出権を与え、その権利を取引できるようにしたのだ。
この新しい市場で、自動車メーカーや電力会社や航空会社など、炭素を大量に排出する企業は、あまり排出しない企業から排出権を買っている。
例えば、太陽光発電を利用している企業は排出権を売ればいい。
このシステムには二つの利点がある。
まず、割り当てよりも炭素の排出量が少ない会社は、更に排出量を減らして余った権利を売って利益を得ることが出来る。
次に割り当てより多く排出するためのコストは政治家の恣意ではなく市場の需給で決まる。
だが、ここに矛盾がある。
市場に問題解決を任せる理由は、政府が信頼できないからなのに、政府に頼らなければこのやり方は上手くいかない。
というのも、最初の割り当ては誰が決めるのか?
農民や漁師や工場や電車や自動車の排気量を誰が監視するのか?
割り当てを超えたら誰が罰則を科すのか?
もちろん政府だ。
この種の人工的な市場を作り出せるのは国家だけだ。
国家だけが全ての企業を規制できる。
金持ちと権力者が環境の民営化を勧めるのは政府が嫌いだからではない。
政府に首を突っ込まれるのが嫌なのだ。
所有権を脅かされたり、彼らが支配しているプロセスが民主化されると困るからだ。
未来の全てを決める対決
政治の話を抜きにして経済は語れない。
マネーサプライの規制と管理を政治から切り離そうとすれば、経済が行き詰まり、危機が起きた時の回復が妨げられる。
唯一の解決策は、金融政策の決定過程を民主化することだ。
理性あるまともな社会は、通貨とテクノロジーの管理を民主化するだけでなく、地球の資源と生態系の管理も民主化しなければならない。
権力者が好きなのは「全ての商品化」だ。
世界の問題を解決するには、労働力と土地と機械と環境の商品化を加速し広めるしかない、と彼らは言う。
反対に、僕がこの本を通じて主張してきたのが「全ての民主化」だ。
このことについて自分自身が意見を持ち、どちらがいいかをキチンと主張しなければならない。
市場の「投票」のメカニズム
市場では富の多寡によって持つ票の数が決まる。
お金持ちほど、その意見が市場で重みを持つ。
会社の株も同じだ。
もし君が51%を所有する株主なら、何千もの人たちが49%の株を所有していても君が絶対的な支配権を持つことが出来る。
人間は今、温室効果ガスの排出を大幅に減らすか、氷河が溶けるに任せておくか、どちらかの選択を迫られている。
バングラデシュやモルジブといった海抜の低い場所に住む数百万という市民の家や畑が失われる。
民主主義は不完全で腐敗しやすいが、それでも人類全体が愚かなウイルスのように行動しないための、ただ一つの方策であることに変わりない。
進む方向を見つける「思考実験」
殆どの人は社会を批判的に見る余裕が無い。
ただいつもの生活を送り、友だちと話し、市場社会が与えてくれるものを楽しんでいる。
イデオロギー(信じさせる者が支配する)
支配者たちはどうやって、自分たちのいいように余剰を手に入れながら、庶民に反乱を起こさせずに権力を維持していたのだろう?
それは支配者だけが国を支配する権利を持っていると、庶民に固く信じさせればいい。
全ての支配者にはその支配を正当化するようなイデオロギーが必要になる。
一つの筋書きを作って基本的な倫理観を刷り込み、それに反対する人は罰せられると思わせるのだ。
宗教は数世紀に亘ってそんな筋書きを語り、まことしやかな迷信で支配者の力を支え、少数支配を正当化してきた。
そして支配者による暴力や略奪を、神が与える自然の秩序として許してきた。
市場社会が生まれると、宗教は一歩後ろに下がることになった。
産業革命を可能にした科学の出現により、神の秩序を信じることはあくまでも信仰であって、それ以上のものではないことが明らかになった。
支配者には、自分たちの正当性を裏付けてくれる新しい筋書きが必要になった。
そこで彼らは、物理学者やエンジニアを真似て数学的な方法を使い、理論や公式を駆使して、市場社会が究極の自然秩序だという筋書きを作り出した。
世界一有名な経済学者アダム・スミスはそれを「神の見えざる手」と呼んだ。
このイデオロギー、つまり新しい現代の宗教こそ経済学だ。
19世紀以来、経済学者は本を書き、新聞に論説を投稿し、今ではテレビやラジオやネットに出演し、市場社会のシモベのようにその福音を説いている。
一般人が経済学者の話を聞くと、こう思うに違いない。
「経済学は複雑で退屈過ぎる。専門家に任せておいた方がいい」
だが、実のところ、本物の専門家など存在しないし、経済のような大切なことを経済学者に任せておいてはいけないのだ。
経済についての決定は、世の中の些細なことから重大なことまで全てに影響する。
経済を学者に任せるのは、中世の人が自分の命運を神学者や教会や異端審問官に任せていたのと同じで最悪のやり方だ。
占い師のロジック
失業と不況は競争不足が原因だとされてきた。
そこで「規制緩和」によって競争を促進することが解決策だとされている。
銀行家や支配層を政府のしがらみから解放するのが規制緩和だ。
この規制緩和が上手くいかない場合には、民営化によって競争が促進されるという。
民営化でも上手くいかない場合には、労働市場が問題だとされる。
組合の干渉や福祉という足枷を取り除けばいいとされる。
そんな説明が終わり無く続いていく。
現代の専門家は占い師とどこが違うというのだろう?
バルファキスは「誰もが経済について、しっかりと意見を言えること」が「真の民主主義の前提」であり、「専門家に経済を委ねることは、自分にとって大切な判断を全て他人に任せてしまうこと」だと言っている。
大切な判断を他人任せにしないためには、経済とは何か、資本主義がどのように生まれ、どんな歴史を経て今の経済の枠組みが存在するようになったのかを、自分の頭で理解する必要がある。
日本の民主主義指数は先進国では下位の24位(2019年)に留まっており、「欠陥のある民主主義」のカテゴリに入っている。
経済民主主義指数はOECD加盟国32カ国中29位(2017年)。
日本に住む子供の7人に1人は貧困である。