人類の知性の発展のためには、思想と言論の自由が必要である
哲学者・経済学者/ミル(イギリス)
スッキリと 自分の考え まとめたい
健康、お金、教育、仕事、結婚、老後・・・
人生においては、考えなければならないことが山ほどあります。
人生を左右するような選択には、プレッシャーも感じますし、エネルギーも使います。
こればかりは、人によって価値観も違いますので、AIに任せるわけにもいきません。
そんなことを考えながら瞑想を繰り返し「上流思考」と「メタ思考」に行き着きました。
あらゆることに対して自分の物差しを確立することで「楽に生きよう」とする試みです。
「そんな考え方もあるのね」といった程度で読んでもらえたら幸いです。
悩み事 上流思考で 減らしたい
「上流思考」とは、下流の問題を上流に遡って解決しようとすること。
ある分野の悩み事を上流で堰き止めてしまえば、下流にはその分野に関する悩み事が一切流れてこない。
脱炭素問題
例えば「自動車の脱炭素」について考えてみます。
Q.自動車産業は裾野が広く、エンジン車を作らないと失業者が溢れる。そもそも充電インフラも不足しているので、すぐにEV(電気自動車)へと舵を切れない。
A.「EV」と「エンジン車」では、部品数がそれぞれ約一万点と約三万点と言われているので、いずれコスト面でEVが有利になるのは明白。3Dプリンターによって、更に部品数も減らせるので早急に全車EVに移行すべき。
↑これが下流での思考とします。
人間は酸素無しでは数分しか生きられない。
散歩したいのは国道沿いではなく、比較的空気のキレイな公園や川沿いの遊歩道。
混雑すると分かっていても旅行に行くのは、本能的にキレイな空気を求めているから。
タバコの煙のように、車の排煙もいずれ文字通り煙たがれるようになる。
↑これが中流での思考とします。
そして、上流思考で命の本質について考えます。
車と電車では、どちらが死亡する確率が低い?
飲酒運転はもとより、高齢者の暴走、大型車の巻き込みなどで、命を落とす子供たちは後を絶たない。
自分にとって、本当に自動車は必要だろうか?
買い物には、車より自転車や徒歩で行った方が余計な物を買わずに済むし、健康にも良い。
コロナ禍で満員電車や通勤時間が無駄と気づいた人類はメタバースへと向かう。
業務以外は車に乗らない社会を目指せば、脱炭素とエネルギー問題が一気に解決する。
資源が無い日本こそ、自動車産業から再生可能エネルギー産業へと移行すべき。
脱炭素 誰も言わない 脱クルマ
上流において、自分が「車を所有しない」と決めるだけで、下流に現れる車に関する全ての問題(費用面・安全面)を自分の頭の中から消し去ることが出来ます。
メタ思考 ベタとオタをも 凌駕する
ベタとは、平凡
オタとは、偏重
メタとは、超越
宝くじ 買って自分の 夢を知る
僕は最近、宝くじを買いました。
宝くじについては、イカのような思考に分類されます。
ベタ思考
一獲千金を夢見て、当選が出た売り場に並んで買う。
また、当選確率が低いことは知っているが、自分が稼げる確率よりは高いと考えて買う(ある意味悲しい)。
オタ思考
宝くじの還元率は46.5%、当選確率は1000万分の1なので、国からの搾取と考える。
「買わない」自分は、合理的で頭が良いと考える(確率偏重)。
メタ思考
人間は 理屈だけでは 生きられない/行動経済学
例え、当選しなくても「当たったら何をしよう」と想像することで、自分の深層心理に隠された「夢」に気付ける可能性がある。
人間は、心にも栄養が必要。だから、宝くじを買うことには意味がある。
宝くじの収益金で作られる公園の遊具は、子供たちにとって必要だから社会貢献にもなる。
つまり、宝くじは「ウィンウィン」なシステムである。
メタ思考では、他人の自由を認め、自分の自由を追求します。
因みに、僕も宝くじが当たったらどうしようと色々と思索しました。
シンプルな 生き方だけを 目標に
今後、様々なテーマについて書き、スッキリしていきたいと思います。