本から学ぶ

世界史と時事ニュースが同時にわかる 新 地政学/祝田秀全

投資家が嫌いな言葉「地政学リスク」。

物事を理解するには「因果」を知ることが必要です。

世界情勢を理解するために、「地政学」を学ぶことは投資家にとって不可欠と言えます。

世界史と時事ニュースが同時にわかる 新 地政学

地政学とは

地理的観点から歴史や国際情勢を分析する学問。

地政学では、ランドパワー(大陸国家、露・中・独など)とシーパワー(海洋国家、英・米・日など)に分けられ、コスト面から両立は不可能。

海路のことをシーレーンと呼び、要衝地点をチョークポイントと呼ぶ。

19世紀にイギリスはチョークポイントを悉く支配下に収めて世界を制した。

緩衝地帯とは、大国間に位置し、大国同士の直接衝突を防ぐ地域のこと。

農業に適すのは、「地中海性・温暖冬季少雨・温暖湿潤(日本)・西岸海洋性」の四気候。

気候は、数百年単位で変動し、地政学的条件や国際情勢に影響を与えてきた。

3世紀頃から中央アジアが乾燥化したため、シルクロードは衰退。

モンゴル高原のフン族が東ヨーロッパに移動した影響でゲルマン人の大移動も開始。

ゲルマン人の侵入で、ローマ帝国は衰退し、滅亡。

地球温暖化はどんな変化をもたらすのか

世界史は宗教戦争史

十字軍の遠征(キリスト教イスラム教)、

ユグノー戦争(カトリックプロテスタント)、

第二次世界大戦後にイギリスからインド(ヒンドゥー教)とパキスタン(イスラム教)が分離独立

1949年アイルランド(カトリック)はイギリス(プロテスタント)から独立

グローバル化とは、異宗教の信者が同地域で暮らすこと。

宗教間対立が重要テーマ

キリスト教24.5億32.9%(カトリック16.7%、プロテスタント7.4%、その他9.6%)、

イスラム教17.5億23.6%(スンナ派20.6%、シーア派2.8%)、

仏教5.2億7%、

ヒンドゥー教10.2億13.7%、

ユダヤ教1478万0.2%

対立要素(民族≒宗教≒価値観)。

バランス・オブ・パワー

対立勢力均衡による平和維持。

現状維持を望む国もあれば、拡張主義の国もあるため国際社会は常に不安定。

15世紀の地政学

❶コンスタンティノープル陥落、地中海がオスマン帝国の海に。

ポルトガルが喜望峰を回ってアジアに至る航路を開拓。

ヴァスコ・ダ・ガマが香辛料貿易の中心地インドに到着。

スペインはコロンブスに資金を与え、西回りでのアジアへの航路開拓に挑戦し、アメリカ大陸を発見。

イタリア商人の造船・航海技術で大西洋に進出。

→葡と西はトルデシリャス条約・サラゴサ条約で世界を二分割

❸高い航海技術を持ちながら活かせなかった王朝。

朝貢形式以外の貿易不可。

16世紀の地政学

❶東南アジア貿易の要衝をポルトガルが押さえる。

ポルトガルは主にアジア市場、スペインは南北アメリカ大陸の開拓に力を注ぐ。

❷ヨーロッパの政治体制に南米の銀山が影響を及ぼす。

スペインはアステカ帝国、インカ帝国を滅ぼし、ポトシ銀山(ボリビア)を発見。

❸南米の銀が中国にも流入、世界が一体化。

スペイン王の命でマゼランがアジアへと至る航路を開いた。

フィリピンはポルトガル領になるが、スペインが先取権を主張。

後に中国市場への進出を狙っていたアメリカに奪われた。

ポルトガルとスペインは貿易と布教を求めて、日本にも上陸。

❹ルターの宗教改革とオランダの独立戦争。

ドイツの神学者のルターがローマ=カトリック教会の腐敗を批判、ルターを支持する新教徒たち(プロテスタント)は各地に広がっていった。

スペインのフェリペ2世はオランダの新教徒を弾圧、オランダは独立戦争を仕掛けた。

そして、スペインが没落し、オランダが頭角を現すことになった。

17世紀の地政学

オランダが海運業を武器にシーパワーの覇権国に躍進。

イギリスが同じプロテスタントの立場からオランダを支援、スペイン無敵艦隊を撃破(アルマダ海戦)。

更にフランスも対スペイン戦線に加わり、英仏蘭で同盟が結ばれた。

オランダは東南アジアでの香辛料貿易を手中にするため東インド会社を設立するとポルトガルの貿易拠点を次々と奪っていった。

当時ポルトガルはスペインに併合されていたため、こうした活動は独立戦争の一環でもあった。

オランダは、インド洋から東シナ海にかけての海の勢力図を塗り替えていった。

オランダはライン川の河口に位置しているため、中継貿易で栄えた。

❷イギリスが策を巡らしオランダから覇権を奪う。

アンボイナ事件「イギリスに物産を運ぶ際には、イギリス船ないしは当事国の船を使うこと」という航海法を制定→英蘭戦争。

海上覇権は次第にイギリスに移っていくことになった。

❸シーパワーの強国に成り得た17世紀の日本の可能性。

家康は、ポルトガル・スペインとの交易については布教を警戒。

一方、布教を条件としなかったオランダとは積極的に交易。

日本はオランダから生糸や絹織物を仕入れ、石見銀山の銀を提供した。

結局幕府は、貿易によって西国の大名が強力になることを恐れて、鎖国体制を選択。

18世紀の地政学

❶強大な大陸国家の誕生をイギリスオランダが阻止。

フランス=スペイン帝国が誕生すれば、英蘭は海上交易に専念できなくなる。

両国はオーストリア等と対フランス同盟を結び、スペイン継承戦争を仕掛けた。

❷大西洋三角貿易がイギリスに巨額の富をもたらす。

イギリスはフランスやスペインなどとユトレヒト条約を結んだ。

西アフリカのギニア湾に面する海岸線には、胡椒海岸・象牙海岸・黄金海岸・奴隷海岸といった地名が付けられた。

イギリスは黒人奴隷を西アフリカから西インド諸島やアメリカ大陸に運び、砂糖・煙草・綿花・コーヒーなどを栽培するプランテーション農場で働かせた。

イギリスでは18世紀後半から綿織物の機械発明から産業革命が始まった。

❸フランスが植民地戦争で勝てなかった地政学的理由。

英仏を比較した時、フランスには地政学的なハンデがあった。

フランスは大西洋と地中海に面するシーパワーの国である反面、プロイセンやオーストリア、スペインに囲まれたランドパワーの国でもある。

隣国から直接侵略を受けるリスクが低いイギリスとは違い、海洋進出だけに資源を投じることは出来なかった。

英仏はこの時期、植民地を巡って何度も戦火を交えたが、終始イギリスが優位を維持し、北米とインドの支配権を確固たるものにした。

但し、北米への課税を強化したことで独立戦争に発展し、アメリカが誕生した。

❹ランドパワーの大国ロシアが明確に海を志向し始める。

18世紀初頭イギリスやオランダが海洋力によって発展している姿を目にしたロシアは、バルト海や黒海への進出を目指した。

そしてスウェーデンに勝利し、バルト海の制海権をまず入手した。

次に注力したのが、不凍港のある黒海への進出だった。

当時この地域を支配していたのはオスマン帝国で、18世紀後半以降、黒海沿岸を巡る戦いが何度も繰り広げられることになる。

この時期からロシアの南下をいかに防ぐかが欧州諸国のテーマに。

19世紀前半の地政学

ハートランドを利用してロシアがナポレオンを撃退。

19世紀初頭の欧州は、フランスを震源とする激動の時代となった。

フランス革命後に王政から立憲民主政、更に共和政に移行。

革命後の混乱の中で、ナポレオンが皇帝に就く。

ナポレオンは、フランス革命の波及を恐れて対仏大同盟を組んだ周辺諸国を次々と打ち破り、西はスペイン、東はポーランドやハンガリーまでを支配下に収めた。

しかし、ロシアに敗れて没落。

❷ウィーン体制よりヨーロッパの勢力均衡を実現。

ヨーロッパ諸国はナポレオン戦争後の領土分配についてウィーン会議を開催。

フランス・オーストリアはロシアの防波堤を期待された。

しかし、ウィーン体制は、フランス革命によって広まった自由主義や国民主義の理念を否定し、ヨーロッパを以前の絶対王政の時代に戻そうとしたことで崩壊した。

❸三角貿易とアヘン戦争でイギリスが中国を浸食。

イギリスの清支配の特徴は、直接植民地化するのではなく「アヘンを売り込む」という自由貿易の体裁を取りながら、従属化させたことだった。

19世紀後半の地政学

❶ランドパワーの巻き返しが鉄道の発達によって始まる。

ロシアは東アジアへの進出を目指してシベリア鉄道を、ドイツはベルリン-イスタンブル-バクダード間を鉄道で結んだ。

帆船に代わって汽船が主力となり、スエズ運河が完成し、欧州からアジアへの航行が可能になった。

19世紀後半は、第二次産業革命が始まった時期でもあった。

西洋列強は資源や販売市場を求めて世界進出を加速。

イギリスやフランスに加えて、ドイツやアメリカも植民地獲得競争に参加する帝国主義時代が到来。

❷南下政策を進めたロシアとイギリスが悉く対立。

オスマン帝国は18世紀以降、衰退が顕著に。

ロシアはオスマン帝国に対して、クリミア戦争や露土戦争を仕掛けた。

そこにオスマン帝国側を支援することで立ちはだかったのがイギリスだった。

英露の対立はグレートゲームと呼ばれた。

ロシアは朝鮮半島を狙ったため、イギリスと同盟を結んだ日本が対峙。

❸鎖国から開国に転じた日本が近代国家の仲間入りを目指す。

ペリー来航により開国した日本は、ヨーロッパ型の国家モデルを受け入れ、列強から近代国家として認められるべく諸制度を整えていった。

19世紀末、日清戦争に勝利した日本はロシアを迎え撃つことになる。

❹ビスマルクが巧みな外交術でドイツの地位を高めていく。

普仏戦争を契機に、プロイセンを中心にドイツ諸国が一つにまとまり、戦勝後にドイツ帝国が誕生した。

宰相ビスマルクは、ロシア・オーストリアと三帝同盟を結び、イギリスとも協調し、フランスを孤立させた。

1900~1908年の地政学

イギリスの後方支援を受けて日本が日露戦争に勝利。

ロシアの次はドイツがイギリスの新たな脅威となる。

ドイツはヴィルヘルム二世が実権を握ると、ロシアと結んでいた条約を破棄し、海軍力の増強に取り組み始めた。

そして3B政策で中東進出を狙い、カイロ・ケープタウン・カルカッタを結ぶ3C政策を取っていたイギリスと衝突。

またドイツとオーストリアは、バルカン半島の主導権を巡ってはロシアと対立。

バルカン半島(ヨーロッパの火薬庫)は様々な民族や宗教が入り混じって対立する複雑な地理的環境にある。

英仏露の三国協商とドイツ・オーストリア・イタリアの三国同盟の対立で第一次世界大戦が勃発した。

❸第一次世界大戦の長期化がヨーロッパに衰退をもたらす。

サラエボを訪問したオーストリア皇太子夫妻をセルビア人青年が暗殺。

オーストリアがセルビアに宣戦布告すると、ロシアがオーストリアに宣戦布告。

ドイツがロシアに宣戦布告。

英仏露陣営は連合国、独墺陣営は同盟国と呼ばれた。

イタリアはオーストリアとの領土問題が原因で連合国側として参戦。

日本は日英同盟に基づいて連合国側としてドイツに宣戦布告した。

アメリカがドイツに宣戦布告したことで連合国側有利に傾くかと思われたが、革命が起きたロシアが離脱したことで再び混沌。

ドイツが降伏し、終結。

❹巨大な島・アメリカが国際社会の主役に躍り出る。

アメリカはパナマ運河を完成。

大西洋と太平洋間を自由に航行できる状態を作った。

1919~1945年の地政学

❶シーパワーの日米の対立が太平洋を巡って顕在化。

第一次大戦後、パリで講和会議が開かれた。

敗戦国のドイツには、植民地の放棄や軍備の制限、巨額の賠償金などが課されることになり、ドイツと連合国間でヴェルサイユ条約が結ばれた。

ナポレオン戦争後の最低限の領土割譲や賠償しか課さなかったのとは対照的だった。

それに対する国民の不満がナチ党の台頭を許す要因となった。

世界三位の海軍力を保有していた日本は、南太平洋の広大なエリアを獲得した。

これはハワイやフィリピンを拠点にしていたアメリカの警戒心を呼び起こし、日本もアメリカを第一の想定敵国とみなすようになった。

❷英米仏のブロック経済が第二次世界大戦の遠因となる。

1929年アメリカから始まった世界恐慌に対して、英米仏は連邦内や植民地、影響下にある国々でブロックを作り、関税を下げて通商の活発化を図る一方で、ブロック外には高関税を課すという保護貿易政策を採用することで自らを守ろうとした。

そのため植民地を持たない日独伊は、ますます苦境に陥った。

これらの国が突破口に選んだのは、軍事侵攻による海外への勢力拡大だった。

ドイツではナチ党が政権を奪うと、オーストリア併合やチェコスロバキアのズデーテン地方併合などに次々と成功。

そしてソ連と独ソ不可侵条約を結んだ上でポーランドに侵攻。

するとドイツに対して英仏が宣戦布告し、第二次世界大戦が勃発した。

当初ドイツの優位に推移したが、イギリスと戦いながらソ連にも侵攻したことが命取りとなった。

❸陸と海の双方で戦うことになった日本。

石炭や鉄鉱石の産出地である満州を支配下に収めた日本は、米英ソが援助した中国に敗れた。

南進した日本に対して、アメリカは石油の対日輸出禁止などの経済制裁を強化するとともに、中国や仏領インドシナからの全面撤退や満州を元の状態に戻すことなどを要求。

日本は米英に宣戦布告し、太平洋戦争が始まった。

これにより日本は中国と戦いながら、太平洋では圧倒的な戦力差のあるアメリカを相手に戦わなければならなくなった。

サイパン島を奪われ、日本の敗北はほぼ決定。

ドイツの降伏に続いて、日本も降伏し、第二次世界大戦は終結した。

1945~89年の地政学

❶社会主義勢力に対抗するため西欧諸国がNATOを結成。

二つの世界大戦は、ドイツの膨張をいかに抑えるかがテーマであった。

ドイツは東西に分裂させられた。

しかし、そこに社会主義勢力の拡大を目指すソ連という新たな脅威がすぐに現れた。

西欧諸国は、社会主義勢力が攻撃してきた時の集団防衛機構としてNATOを結成。

アメリカも加わった。

ソ連は占領した東欧諸国を防波堤にし、WTOワルシャワ条約機構を結成した。

東西冷戦構造は約40年間続くことになる。

❷リムランドで戦火を交えた西側陣営と東側陣営。

アメリカが恐れたのは、東南アジアが社会主義化すると、隣国もそうなることだった。

そのため、拡大が危ぶまれる地域に軍事支援を行うことで拡大を封じ込めるという政策を採用した。

❸アメリカの軍事的庇護の下で経済発展を遂げた日本。

アメリカは中国を社会主義勢力拡大の防波堤にする計画だったが、共産党と国民党との内戦で共産党が優位に立ち、社会主義国家が誕生しようとしていたため、日本に切り替えることにした。

日本は経済活動に専念でき、軍事大国から経済大国へと生まれ変わった。

❹二つの社会主義の大国、中国とソ連が対立。

中ソ国境で武力衝突。

中ソ対立が顕在化した後、アメリカが中国に接近し、米中和解が実現。

以後アメリカは中国とも手を結び、ソ連包囲網を強化していった。

1989~現在の地政学

❶単独行動主義の批判を浴びたアメリカの冷戦後の外交戦略。

1960年代以降、ソ連では計画経済が行き詰まり、ゴルバチョフ書記長は、市場原理の導入や情報公開、冷戦外交の見直しなどに着手。

これを契機に米ソ関係の改善も進み、「冷戦の終結」が宣言された。

ソ連崩壊。

自由主義が社会主義に最終勝利を収めたことで世界は一つになった。

今後は国家間の勢力争いを、地政学を用いて分析する必要もなくなるという考え方が出てきた。

イラククウェートに侵攻し、併合を宣言。

これに対して、国連安全保障理事会では米ソの一致の元にイラクへの制裁決議を採択。

翌年には多国籍軍が編成され、イラクに武力制裁を加えた(湾岸戦争)。

この時、米軍はイスラム教の聖地メッカがあるサウジアラビアに駐屯。

これに激怒したイスラム過激派グループがアルカイダを結成。

アメリカ同時多発テロを起こす。

ここからアメリカは報復として開始したアフガニスタン攻撃からイラク戦争へとのめり込んでいくが、国際社会の全面的な同意は得られなかった。

そしてアメリカはアフガニスタンやイラクの統治にも失敗。

この時の苦い経験がオバマ以降の外交政策の転換へと繋がっていく。

❷東西ドイツの統一がEUの誕生をもたらす。

EUロシアは「新冷戦」となった。

❸アメリカの内海・太平洋への進出を図る中国。

第二次世界大戦後の中国は、大躍進政策や文化大革命が混乱を招き、経済的にも停滞していた。

そこで1970年代後半、中国は改革開放路線に転換。

沿海部に経済特区を設けて外国企業の進出を促した。

当初、欧米諸国は好意的な目で見ていたが、尖閣諸島や南沙諸島などを自国の領土と定めた領海法を周辺国の了解なく制定するなど、海洋進出に向けた布石を打っていた。

2000年代に入ると、自国の利益確保を前面に押し出した外交政策を展開。

政治的に不安定な状態に置かれている。

日本を取り巻く状況

日本が独立を維持できた理由。

四周を「海」という天然の要塞に囲まれている為、航行手段が帆船しかなかった時代、他国が攻めるためには大量の軍船や兵糧を用意した上で長い航海を行う必要があった。

莫大なコストと兵士の疲労も大きく不利。

植民地獲得競争において、欧州諸国はアジアではまずインドや東南アジアを植民地化し、次に清王朝に目を向けた。

日本は後回しにされ、その間に日本は情報を収集し、国を固め、列強の脅威に備えた。

社会主義勢力の防波堤となる

朝鮮半島南端と北部九州の距離は約200キロしかなく、朝鮮半島をロシアに奪われることは脅威だった。

日清戦争、日露戦争。

第二次世界大戦後の日本は、東西冷戦構造の中で西側陣営に組み込まれた。

アメリカが日本に求めたのは、社会主義勢力の拡大を防ぐ防波堤であり、資本主義の成功例になることだった。

日米安全保障条約締結、日本に米軍が駐留。

日韓関係の行方

日清・日露戦争は朝鮮半島を日本の影響下に置くために挑んだ戦争。

韓国併合によって、朝鮮半島を直接日本の領土に組み込んだ。

日韓基本条約は社会主義勢力の防波堤にしたいアメリカの強い圧力の下で実現。

韓国としては反日感情はあるがアメリカと同盟を結ぶ国として日本と連携しなくてはいけないというアンビバレントな状態に。

日韓関係は、単に二国間の関係ではなく、米中の動きも意識しつつ見ていく必要がある。

なぜ日米は同盟を結び米軍は日本に駐留するのか。

日本は東アジア防衛の拠点。

日本は自国の防衛の多くを在日米軍に担ってもらうことで防衛費を削減。

その分を経済政策に回すことで高度経済成長を実現した。

米軍が日本の石油を守る

在日米軍は東アジアだけでなく、太平洋からインド洋の一帯を監視する役割も担っている。

日本が石油を中東からタンカーで安定的に輸送できるのは、この海域が米軍によって守られているためだ。

アメリカは日本を失えば、この地域での軍事的影響力が低下し、日本はアメリカを失えば国防も経済も危機に瀕する。

それが同盟を強固なものにしている。

東シナ海支配を狙う中国は日本領海への侵入を繰り返す。

南西諸島より内側のエリアを本土防衛のために制海権を握っておくべき第一列島線と位置付けている。

沖縄が米軍の重要な軍事拠点になっている理由。

東アジアをカバーできる場所

なぜ北方領土問題は解決が困難なのか。

冬でも海が凍結せず、オホーツク海から太平洋へとの抜け出せる国後水道を失うことになる。

また米軍が拠点を築くことを警戒。

「インド太平洋」構想で日本が目指していることとは。

中国に対する警戒感

東アジアの地形が育んだランドパワー大国・中国。

東アジアの内、面積約八割、人口約九割を占めている。漢民族による中国こそが世界の中心であり、周囲の異民族を禽獣に等しい蛮族と見なすという中華思想。

「一帯一路」を掲げた積極的な海洋進出

なぜ中国は是が非でも台湾を手に入れたいのか。

中国は太平洋西部に第一列島線(南西諸島から沖縄・台湾・フィリピン・南沙諸島)と第二列島線(伊豆諸島・サイパン・グァム・パラオ)という二つの防衛線を設定している。

中国は第一列島線より内側を他国の艦船の侵入を許さない「中国の内海」にすることを目指しており、その上で第二列島線への勢力の拡大を目論んでいる。

ところが、この第一列島線の内側で中国の内海化を阻む位置に存在しているのが台湾だ。

朝鮮半島と中国

冷戦の終結と共に、ソ連が敵国であるはずの韓国との国交を正常化。

その二年後に中国も韓国と国交を結んだ。

北朝鮮から見れば挟み撃ちにされた状態に。

そこで自国の生存を図るために核兵器の開発を行うことに。

大国に挟まれた韓国の難しい立ち位置。

米中双方に目配りした「二股外交」。

中国とインドは犬猿の仲なのか

中国がチベットを実効支配したことで敵対。

インドはQuad(日・米・豪)、上海協力機構(中・露)を形成。

どちらの陣営にも属さず、全方位外交によって自国の地位を確保していくのがインドの外交スタイル。

中国は最大の貿易相手国であるため、決定的な対立は避けたい。

少数民族のウイグル族(イスラム教)を中国政府が弾圧する理由。

ウイグル族による中国政府への対抗は2000年代以降再び激化するが政府は徹底的に弾圧。

ウイグル族の独立を認めてしまうと、チベットや内モンゴルなど他地域の少数民族の独立運動を刺激することになるからだ。

また新疆には豊富な石油資源が埋蔵されている。

ミャンマー情勢に対して中国が静観する理由とは。

ミャンマーを味方につけておけば、マラッカ海峡をアメリカに押さえられても、陸路からインド洋に抜けられるからだ。

またミャンマーには豊富な石油や天然ガスも埋蔵されている。

インドも同様。

「巨大な島」アメリカが覇権国に

島国の強みは、海が天然の要塞となり、他国からの直接攻撃を受けにくいこと。

また大西洋と太平洋のどちらにも面しており、ヨーロッパにもアジアにも影響力を及ぼせる地理的位置にいる。

アメリカはプロテスタント・カルヴァン派のピューリタンがイギリスから渡ってきて築かれた国。

彼らはアメリカを神から与えられた「約束の地」と捉えた。

約束の地を西へと拡大していくのは、神から与えられた「明白な天命」であると考えた。

自分たちの理想の国家を広げるためにはアメリカ先住民を虐殺することも厭わなかった。

戦後のアメリカが「明白な天命」の代わりに持ち出したのは「自由と民主主義」という理念だった。

その際に敵とされたのが「自由の抑圧」の象徴である社会主義国だった。

アメリカは社会主義勢力の拡大をリムランドで封じ込め政策を展開。

ソ連の解体後のアメリカは混迷。

アメリカ国内で進む分断の理由とは何か。

近年、共和党(福音派)支持者は【男性・白人・中高年・非大卒】、民主党(リベラル派)支持者は【女性・非白人・若者・大卒】が多いことが鮮明に。

ロシア問題とドイツ問題

19世紀後半以降、欧州ではロシアとドイツというランドパワーが台頭し、シーパワー一辺倒ではなくなった。

その理由に鉄道技術の進歩によって、ランドパワーの輸送力が格段に向上したことを挙げている。

以後ヨーロッパでは、ロシアやドイツの膨張をいかに抑えるかが課題となった。

ロシアは、15世紀時点ではモスクワ周辺に領土を持つ小さな内陸国に過ぎなかった。

周辺には東欧州平原が広がっており、自然の要塞となるものがなかったため、常に敵の侵入に怯えなくてはならなかった。

そこでロシアは「攻撃は最大の防御」とばかりに領土を拡大することで強国になる道を選択した。

一方ドイツは19世紀末から領土拡張の野心を露わにし始める。

第一次・第二次世界大戦は、ドイツの振る舞いが原因。

現在の欧州の安全保障上の一番の課題は、EUとロシアの対立が深刻になっていること。

またEU内の大きな課題は、ドイツの独り勝ち状態により、加盟国間の経済格差が進んでいることだ。

経済格差の深刻化により暗雲が立ち込めるEUの未来。

この格差により、反EU・移民を掲げるポピュリズム政党が台頭しつつある。

欧米諸国に翻弄されてきた中東

地理的に欧州・アジア・アフリカのつなぎ目に位置しているため、大航海時代が始まるまで世界の交易の中心だった。

その交易の担い手はイスラム商人。

中央アフリカから東南アジアの島々までイスラム教が浸透。

地理的な重要性を考えれば今も繁栄を誇っていても不思議ではないが、実際は紛争やテロが絶えず、混沌とした地域となっている。

アラブ世界は宗派や部族単位の繋がりが強く、宗派や部族の分布を無視して世界大戦後に区割りしたため、一つにまとまれず、スンナ派とシーア派が激しく対立する現在の中東の状況が生まれた。

三つの宗教の聖地・エルサルム。

国連は国際管理地区にすると決定したが、イスラエルはここを占領した上で首都であると宣言。

またアメリカもトランプ政権時代に大使館をエルサルムに移した。

ユダヤ人との身勝手な約束。

イギリスは第一次世界大戦時、ユダヤ人資本家のロスチャイルドとの間でも、戦争のために金銭的な支援をしてくれたなら、パレスチナにおいて民族的郷土の建設を支持するという約束をしていた(バルフォア宣言)。

ユダヤ人にとってパレスチナは、二世紀にローマ帝国によって追放されるまで郷土であった。

そして大戦が終わると、実際にユダヤ人のパレスチナへの入植が始まり、1948年イスラエルの建国を宣言した。

これはこの地に住んでいるアラブ人との軋轢を生んだ。

パレスチナ問題に対して強硬な姿勢を取るイスラエル。

パレスチナ問題が起きたのは第二次世界大戦後すぐ。

国連はアラブ人の同意がないままに、パレスチナをユダヤ人国家とアラブ人国家に分割することを決議。

するとアラブ諸国はイスラエルに宣戦布告し、第一次中東戦争(第四次まで)が勃発した。

結果はイスラエルの圧勝、多くのパレスチナ人(パレスチナに住むアラブ人)が難民となった。

ペルシャ湾を挟んで対立するイラン(ペルシア人・シーア派・反米)とサウジアラビア(アラブ人・スンナ派・親米)。

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